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zowのプログラムな日々

日々のプログラミングとか

音楽遍歴(小学生〜中学生)

昨日、80年代の音楽漬けになったことで変なスイッチが入ってしまった。なかなか頭から離れないので昨日に引き続き音楽の話。あんま人の前で音楽遍歴について語ることとかないので、いい機会だし一度まとめて書いてみる。

まず、最初に買ったレコードから。まぁ最初に買ったのは小学生の時だったんだけども、普通の人はアイドルとかなんだろうか?身近にあるテレビなんかで流れてくるのはそういう音楽が大半なのだから、最初に触れるのはそういった音楽なんだろう。でも俺の場合、あまりテレビを見てなかった。というより見せてもらえなかったので、ラジオばかり聞いていた。実家は自営業ということもあり、店の中にはステレオ一式揃ってたんだけど(有線かけてた)そのお古をもらって小学生ながら、馬鹿でかいスピーカーとアンプとチューナーとデッキが部屋にあった。確か最初に使ってたのはTechnicsだっただろうか。とにかく小学生には似つかわしくない環境だった。

そんな俺が最初に買ったレコードはこの曲である。

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レコード音源がなさ気なので当時の音源で探してみた。マクセルかなんかのテープのCM曲でとにかく格好良かった。ただこのEP盤はA面曲の方ではなくB面曲ばかりを聞いていた。B面曲は「Two Punks」という曲で、多分モッズのファンの方なら知らない人はいないんじゃなかろうか。上記動画で1:10頃から森山コールが響いているけども、このB面曲はまさにその森山コールから始まるライブ盤で、物凄い迫力だった。そのレコード音源を探したけども見つからないので他のライブ音源を貼っとく。興味ある人は是非「激しい雨が」のEP盤を買ってB面を聴いてもらいたい。今現在、youtubeに上がってるどの音源よりも凄いと思います。

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この「激しい雨が」が発売されたのが83年。当時10歳だったんだなぁとしみじみ思う。いまだに思うけどもはっきり言って10歳が聞く音楽では無いわけで、同じ音楽趣味を持つ友人というのは周りにいなかった。当時やっていた超人気番組の「夕やけニャンニャン」ですら、サッカーを習ってたので、練習で夕方に家におらず見ることができなかった。そんな感じでテレビを見ないのでアイドルとか全然判らないし、遠足のバスの中で流行りの音楽がテープから流れてきてもいまいち判らないものばかりだったことを覚えている。そんな俺が唯一と言っていい音楽について話せる人が4歳年上の兄だった。兄は14歳のはずだから、中2かな?恐らく学校で流行っていたであろう、DuranDuranなんかを聞いていた。当時は学生ということもあり、レコードを買う金なんてなく、レンタルレコード屋でレコードを借りてきて家でテープに録音して聞くのが普通で、兄が借りてきたレコードを俺もテープに録音して聴いてた。そういったわけで、自分自身の聞いていたパンク系(日本のモッズだけでパンク系と言うのはおこがましいが・・)のアーティスト、兄の聞いていたUKチャート的アーティストの2つのジャンルの音楽を主に聴いて育った。

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兄は主にUKな音楽ばかり聞いていて、DuranDuran以外にもカルチャークラブが好きだった(俺はあんま好きじゃなかった)。買っていた雑誌はFM Stationで、当時小学生の俺には音楽雑誌を買える財力なんてものはなく、兄が買ったFM Stationを読んでいたのだけども、この雑誌がまぁメジャーな音楽というか、商業主義というか、要するにヒットチャートに出てくる音楽ばかりを扱っていた。正直言ってしまうと、私はそういう音楽を根本的に望んでなくて、もっと激しい物を求めていた。だが当時はネットなんてものはなく、入手できる音楽情報はFM Stationという軟派な音楽雑誌のみ。そこで兄にパンク的な音楽が好きだという事をカミングアウトしたところ、教えられたのがこの人たち。

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当時小学生だったし、人前で言ったことは無かったけどかなり好きだった。貸レコード屋で「亜無亜危異都市」を借りる小学生を店員のお姉さんはどう思ってたんだろうか。「亜無亜危異都市」を録音したテープをそれこそ擦り切れるまで聴いた。だが、ある日突然解散(と言っていいのかどうか)した。アナーキーが表舞台から消えるきっかけになった事件については詳しくは書かないが、小学生ながらにやっぱパンクとか反社会的な事を言ってる人たちって怖いんだなぁ、なんて思った事を覚えている。

当時の俺はアナーキーとDuranDuranとカルチャークラブしか聴いてなかったのかというと、もちろん違う。邦楽に関しては入ってくる情報がほとんど無い為、それほど聞くものは増えなかったが、洋楽に関してはUKを中心に多種多様になっていった。

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デビッド・ボウイはレッツダンスの方が有名だけども、なぜか上記のPVが好きなのであえてこっちを貼ってみる。だが聴いてたのはレッツダンスの方だ。デビッド・ボウイもこの頃は多分迷走してたんだと思うけど、UKポップとでも言えばいいんだろうか、非常にキャッチーで判りやすいメロディーラインの曲が多くて聞きやすかった。

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これは完全に余談だけども、上記のチャイナ・ガールという曲のPVは異様に安っぽい。なんでこんなPVにしたんだろうか。未だに謎である。そしてその妙な安っぽさとグラムロック的見た目からこの人を思い出してしまう。

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・・・ほんとごめんなさい。双方に謝る。どちらも尊敬できるミュージシャンだと思ってます。えぇ。

まぁ余談はともかく、レンタルレコード屋でレコードを借りてテープに録音する日々が続いてた訳だけど、もちろんレコードも買っていた。但し、小学生の俺にはハードルが高かった。シングルで確か700円、アルバムも2000円以上とかじゃなかっただろうか。かなりの大金だったので買うレコードは凄い慎重に選んでいた。そんな俺が発売数カ月前から予約して買ったレコードがこちら。

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物凄いメンツである。このレコードを買うセンスを持っていた小学生時代の自分を褒めてやりたい。お前がお年玉を前借りしてまで買ったこのレコード、数十年後にプレミアが付いて物凄い価格になったぞと当時の自分に言ってやりたい(一時3万ぐらいまで上がった。その後復刻CDが発売されて一気に落ちたけど)。ちなみに、チャリティ的な志で買ったのではなく、純粋にUKチャートを賑わしていたアーティストが勢揃いしているという理由で買っていた。あとアルバムを買う金は無いが、12インチシングルなら辛うじて小学生でも手が出せた。なので、その後バンド・エイドに触発される形でUSチャートのアーティストが作ったもっと有名なあのレコードは買わなかった。USチャートに当時はあんま興味なかったし。

こういった感じで小学生時代は日本のパンク的な何かとUKアーティストを聴いて育った。ところが中学生になった辺りで聞く音楽は一変した。せざるを得なかったのである。小学校を卒業したのが86年、周囲の人間も洋楽に興味を持ち始めるこの時期、世間はユーロビートに侵食されていた。数年前までUKチャートを賑わしていたアーティストたちはあっという間に消え去り、猫も杓子もユーロビートに染まっていった。そう、時代が変わったのである。そして俺に音楽的情報を与えていた兄は就職で家を離れ、音楽的指針を与えてくれる人間がいなくなったというのもあって、もう何を聞くべきなんだか判らなくなっていた。なのであらゆる物を聞くようになった。

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まずレベッカである。最初に手を出したのはTIMEだったと思う。TIMEを聴いて、そこからレンタルCD屋(この頃CDデッキを入手した)で遡って借りて行った。レベッカに関しては自分の音楽的趣向がどんなに変わっても解散するまでずっと聴き続けた。そんぐらい好きだった。いまだに引っ張りだして聴いたりする。恐らく今後も一生聞き続けるのだろう。

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次に渡辺美里である。音楽的に迷走していたというのもあるけど、今まで聞いてきた音楽とは明らかにラインが違う。聴き始めた理由は好きな女の子が聴いてたからだ。確かBreathが出た辺りで、ポリープ手術して声が変わっちゃったよねー、なんてその子と会話したのを覚えている。翌年のribbonまでは聴いたが、その好きな子とクラス替えで別のクラスになってしまったので、ribbon以降は聴いてない。甘酸っぱい思い出である。

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BOOWYである。上記は私が知ってる限り、日本人アーティストのPVでアニメーションを使った最初の作品じゃなかろうか。私が中学生時代を過ごした80年代半ばは、とりあえずBOOWYレベッカを聴いておけばなんとかなった。それぐらい誰もが聞いていた。87年に解散することになるんだけども、LASTGIGSのチケットの予約が確か土曜日の昼に予約開始かなんかで、当時土曜日は普通に授業があって、帰宅してから電話しようとしたらニュースで10分で売り切れましたとか言ってたのを覚えてる。授業をサボって電話した友達がチケット取ったって喜んでたのを羨ましく思ったものである。

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BOOWYと言えば、必ず話題になるのは「氷室派」と「布袋派」のどっちだったかって事だ。俺は布袋派だったんだけど、BOOWY解散後は山下久美子を聞いていた。まだ夫婦仲が悪くなくて、アルバムには布袋色の強い曲ばかりが入っていた。アルバム名は忘れたけども、その当時のライブ盤にメンバー紹介とかが入ってて、ギターが布袋、ベースが松井、キーボードがホッピー神山で、うぉすげーって思った記憶がある。まぁ布袋はその後、今井美紀と不倫をして山下久美子と離婚するんだけども、それまでは結構聴いてたなー。

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そうなると当然布袋がソロデビューしたらそれを聞く。上記だけども、CD音源になっている。youtube見ると他にもLive音源とか大量にあったりするんだけども、そんな中CD音源の上記を貼ったのには理由がある。このアルバムを買ってきて、CD開いて聴き始めるとクラシック調のイントロから始まって期待感を煽ってからこの曲である。正直、布袋の方向性が掴めなかった。え、この人なにやってるの?みたいな。考えてみれば布袋はギタリストである。そして歌が下手なのはBOOWY時代から有名だった。歌っちゃいけないのである。その人がギターでソロアルバムを出してきた一発目の曲がこの曲で、まぁギターは凄い。でも歌を聴いてハッと気づく。あぁエレキギターは楽器で単独じゃ音楽として成り立たないんだなー、って。ソロでやってくためには歌必要なんだって。で、このアルバムを最後に布袋のギターソロのアルバムは買うことが無くなった。でも一応言っとく。当時中学生の俺はそう思った。でも実際には布袋はそんな浅はかな予想を打ち砕いて斜め上をいった。現在の彼は凄いと思うし、歌もこの頃に比べりゃちゃんと歌えてる。音楽性としては今も好きだ。